銀幕のヒロイン・京マチ子―溝口健二、小津安二郎、黒澤明、市川崑、衣笠貞之助、成瀬巳喜男、増村保造…日本を代表する監督の名作に数多く出演、大映トップ女優として君臨したと同時に、国際女優として確固たる地位を確立してきました。京マチ子は1949年、25歳の時に大映に入社しデビュー、その翌年『羅生門』に出演し、その後『雨月物語』、『地獄門』といった作品が国際映画祭で高く評価され、“グランプリ女優”と呼ばれるようになりました。よって、京マチ子と言えば、これらの作品をはじめに思い浮かべる方が一般的には多いのかもしれません。KADOKAWAが保有する旧大映や角川映画の豊富なライブラリー作品を次世代に継承すべく立ち上げたブランド「角川シネマコレクション」、その劇場上映企画第10弾となる今回の映画祭は、2019年でデビュー70年を迎える女優・京マチ子をフィーチャーした映画祭を開催致します。肉体を武器に男を手玉に取る女、夫の前では貞淑な妻ながら裏では若い男と通じる女、不器量だが心優しき女性…様々な女性の人生や業を演じてきた京マチ子…巨匠がメガホンを取った作品だけではない、数多の顔を持つ、“本当の京マチ子”の魅力をスクリーンでご堪能頂けますと幸いです。
プロフィール
1924年(大正13年)3月25日大阪府大阪市生まれ。大阪松竹少女歌劇団(現・OSK日本歌劇団)で娘役スターとして活躍後、1949年大映に入社。
同年、入社後5本目の出演作である『痴人の愛』で魅力的な個性を発揮し一躍注目される。翌1950年、黒澤明監督『羅生門』に起用、戦後だからこそ表現できる新たな女性像を、ダンスで鍛えた体で見事に体現した。また翌年主演した『偽れる盛装』では金儲けのために男を手玉にとる芸者役を演じ、毎日映画コンクールの女優賞を受賞、大女優としての地位を早くも決定付けた。
更に『羅生門』がアカデミー賞®名誉賞(最優秀外国語映画賞)、ヴェネチア国際映画祭グランプリ(サン・マルコ金獅子賞)を受賞し、国際的にもその名が知られるようになる。
1953年には溝口健二監督『雨月物語』、成瀬巳喜男監督『あに・いもうと』、衣笠貞之助監督『地獄門』と巨匠の作品に相次いで主演、『雨月物語』ではヴェネチア国際映画祭サン・マルコ銀獅子賞(※金獅子賞が該当なしのため、事実上のグランプリ)を、『地獄門』がカンヌ国際映画祭グランプリを立て続けに受賞、“グランプリ女優”と呼ばれるようになり、国際女優としての地位を決定づけた。
その後、1956年には若尾文子、小暮実千代、三益愛子といった豪華女優陣と競演となった溝口健二監督の遺作『赤線地帯』に主演。翌1957年『いとはん物語』(伊藤大輔監督)では大阪の材木問屋の長女で、心は美しいが妹とは似ても似つかない不器量な醜女という難役をゲジゲジ眉毛に団子鼻、義歯と口に含み綿で外見を作り上げ、醜女ゆえ恋を諦めなければならない切ない女心を繊細に演じ、その演技が高い評価を受けた。
1959年、巨匠・市川崑監督『鍵』では、精力が衰え若返り注射をする老境の夫の前では貞淑でありながら、その裏では夫の娘の婚約者である若い男と通じるという複雑な役柄を演じ、作品に漂うブラックユーモアをも見事に体現。同作はカンヌ国際映画祭でグランプリに次ぐ審査員特別賞を受賞した。また同年、巨匠・小津安二郎監督が大映で唯一メガホンをとった映画『浮草』に主演。当時35歳の京マチ子はデビュー10周年、これまでのキャリアの集大成ともいえる成熟した圧巻の名演技を披露した。
その後も『ぼんち』(1960/市川崑監督)、『女の勲章』『婚期』(1961/吉村公三郎監督)、『黒蜥蜴』(1962/井上梅次監督)、『女の一生』(1962/増村保造監督)、『女系家族』(1963/三隅研次監督)、『千羽鶴』(1969/増村保造監督)など数々の作品で主演をつとめ、名実共に大映トップ女優として君臨し続けた。
1971年大映倒産後は『男はつらいよ 寅次郎純情詩集』(1976/山田洋次監督)や『化粧』(1984/池広一夫監督)などに出演するも次第に活動の拠点を舞台やテレビの世界に移していった。
1957年マーロン・ブロンドと共演したアメリカ映画『八月十五夜の茶屋』でゴールデン・グローブ賞®主演女優賞(ミュージカル・コメディ部門)にノミネート。1987年に紫綬褒章、1994年には勲四等宝冠章を受章。2000年に発表された「キネマ旬報」の「20世紀の映画スター・女優編」で日本女優の3位となった。また、2017年には日本アカデミー賞会長功労賞を受賞した。
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